『ピクノジェノール日本誕生秘話』
1991年。
健康食品の原料の輸出入業を主とする株式会社トレードピアの創業者である松下祐治(以下、松下氏)は、アメリカ・ユタ州を訪れていました。
当時からサプリメント大国だったアメリカ。
そこのネットワークセールス会社を訪問した際、アメリカで販売されているサプリメントの中で、“ある原料”を用いた商品が常時トップ5に位置づけられていること、そして多くの会社がその原料を使った製品の開発に注力していることを聞いた松下氏。
サプリメント激戦区である国でトップ5に入っているものであれば、間違いなく近い将来、日本でも必ずヒットすると直感的に思い、強く興味が湧きました。
「その原料の名前は?」と聞くと、
「Pycnogenol®️(日本語読み:ピクノジェノール=フランス海岸松樹皮抽出質物)」という難しい原料の名前。
このスペリングを聞いたその瞬間が、日本誕生の第一歩でした。
しかし、まだ日本の誰しもにとって未知の原料。
どこで作っているのか?どこにあるのか?何もわかりません。
やっとの思いで探し出し、たどり着いたのが、スイスに本社があるホーファーリサーチ(HorphagResearch・以下H社)社でした。
真っ先にH社に連絡をし、話を聞いていくと、この原料は、日本ではこれまでに一度も輸入の実績がありませんでした。
輸入をするためには「新規物質」として厚生労働省に「食薬区分」という申請許可を得なければなりません。
つまり、この原料をサプリメントとして使用するためには、日本で「食品」であることを認められることが必要でした。
そして分かったのは、そのためには膨大な資料が必要だ、ということでした。
果たして、この原料は食品としての食経験があるのか。
このことが、サプリメントを日本で輸入販売できるかどうかの大きな鍵となりました。
H社に本件に関する英文の資料が存在することを教えてもらい、送付してもらったのはカナダの百科事典。
百科事典で見つけた航海日誌にはこんなことが書かれていました。
フランスの探検隊がセントローレンス川を航海中、川が凍結して船が長い間動けなくなってしまった。1536年頃にカナダの原住民が松樹皮を煮出してお茶にして飲ませたところ、探検隊員の多くが救われたという。
松下氏は、すぐさまこの部分を和訳したものと原文英語を添付し、厚生労働省の出先機関である埼玉県庁に提出します。
そして、厚生労働省に書類を提出してからすでに3年が経過していたある日。
ようやく「Pycnogenol®️」を食品の新規物質として認めるとの連絡がありました。(以下、ピクノジェノール®️)
航海日誌の記録の中には、ロシアのある地方では飢饉になると松樹皮の粉をパンに混ぜて食していたことが記されていたのです。
松樹皮が食品として食べられていたとあることが、決め手となりました。
日本で「ピクノジェノール®︎」の発売のため、記念記者発表会を開いたのは1996年。
やっと発表開始となったものの「ピクノジェノール®️」と言っても、まだ知名度もなく、誰も知りません。
どうしたらピクノジェノール®︎を試してもらえるか、考える必要がありました。
発売から1~2年経過したころ、ある国際学会が日本で開催されました。
そこには、カリフォルニア大学バークレー校のレスター・パッカー先生をはじめ、H社のピーター・ロドワルド先生、金沢大学のS先生、名古屋大学のO先生、そして、京都府立医科大学のY先生など、日本のみならず世界で著名な先生方が並んでいました。
この講演を松下氏は一番前の席で、同時通訳ヘッドホンもつけずに聞いていました。
その姿を目にした金沢大学のS先生が、
「トレードピアさんが日本での輸入総代理店と聞いていますが、ぜひ私にこのピクノジェノール®️の日本での研究・データ取りをやらせていただけないですか?」と申し出くださったのです。
直ちに「ぜひお願いします」と快諾しました。
名刺交換して数日後。
H社から借りていた資料(黒のバインダーに5~6冊の研究論文、大きな段ボールがいっぱいになった)をS先生の元に送付。
先生が受け取った資料を見て、驚いた声をあげているのを電話越しで聞いたことを、よく覚えています。
その後、ピクノジェノール®️のソフトカプセル(15mg)を試作品として製造し、S先生とともに883人の健常人に飲んでもらい、研究を行いました。
これを基にトレードピアで販売することに決まりました。
日本でのデータを作成するためには膨大な時間を要し、金沢大学のS先生との打合せの為に何度も金沢に足を運び、化粧箱の完成や製品販売まで、さらに2〜3年を費やしました。
最終製品として完成したものを「ピクノジェノールライフ」(現行のピクノジェノール®ライフとは異なる製品)と名付け、日本で初めてピクノジェノール®️原料を使用した製品販売第一号の誕生となりました。
一日の摂取量を100㎎にしたのは、H社の研究や日本人の体重などを総合的に判断してのことです(現品は120mg配合)。
では、なぜ「ピクノジェノール®️ライフ」と名付けたのか。
それは「人の健康生活(ライフ)をサポート出来る元になるように」という強い願いがあったからです。
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その後、2004年に松下祐治の長男である松下昌裕が株式会社サイエンス・サプリの代表に就任。
株式会社トレードピアより製品の販売の委譲を受け、現在に至ります。